貧困

私の内部にある言葉は貧しい。他者の詩を、小説を読まなければいけないが、時間が惜しい。数える。ある本を手に取ったら、その本を読むことで失われる時間を数える。最初の50ページは面白く読める。一度熱が冷めて、本を閉じて、再びひらけば、熱は消え去って、読むのが苦痛になる。今、読んでいる本は4冊ほどあって、複数の本を並行して読むのが流儀なのだが、決して理論があるわけではなくて、ただ飽き性なだけだった。創作に関して、今年は詩を頑張りたくて、今年、ユリイカ、現代詩手帖、そして日本現代詩人会に詩を投稿して、どれかで結果を出したいと思っている。今年は学業で院試と卒論があるから、ろくに詩作の時間を取ることはできないのだろうが、できる限り詩を書きたい。私的なことを詩にできないのに加え、私は語彙と文章力が貧困ために描写をすることができない。私は本を読まなければいけなくて、しかし、50ページほどで飽きて投げ出してしまう。この本を読み切るのにかかる時間を想起して辟易とする。正直、何度考えても詩でなければ、小説でなければならない理由はない。しかし、一度そう思い込んでしまって、何度も妄想を繰り返していたかっら、詩や小説を書かなければ、夢から醒めないままで現実を生きることができない。この妄想を終わらせるためには、実際に詩や小説を書くしかない。全力で書いて、それから諦めるしかないのだ。詩を書くとはどういうことか。私的なことは全てここに書ききらないといけない。失う時間と向き合わなければいけない。詩を書くことで、本を読むことで失われる時間を数えてしまったら、結局、今まで通り何もせずに日々が過ぎ去るだけだ。これまでの日々は何にもならなかった。将来、何かにつながるのかもしれないが、そこで「あの日々が今につながったんですね」とか言われたら、私は相手の首を絞め、殺してしまう。現時点で、もちろん私が何もしなかったのが原因なのだけれど、あの辛かった日々は何にもなっていない。未来のことは知らないが、そんな言葉であの日々を無にしようとするなよ、と思う。感情は私だけのものであって、別に他者がどういようと関係ないのだから、相手を絞め殺した私はただの残虐な殺人犯であって、悲劇の主人公ではない。批評と感想と考察は分けなければいけなくて、それは感想がそれだけで完結した閉じられたものだからである。批評の批評たる所以は、その被批評性にあって、誰も自分の批評だけで完成するとは思っていないだろう。何が好きかなんて人によって違うとか、作品の価値は多元的だとか、そんなことはわかりきっていて、その先の話をしているのに。これを何度も説明しなければならない。私は、ロクに批評について考えていないし、批評を読んでいないし、そもそも批評を書いてすらいない。私はここに自分の様々な意見を書きつらなければならない。それは、他者に働きかけるためではなく、自己批判のためである。私は、自分は自己批判精神の塊だと思っている節がある。ある側面ではそうなのかもしれないが、最近、段々と盲目な自己愛が露呈してきている。私が意見として持っていることはここに全て書かなければいけない。将来、この文章が掘り起こされて(私が世に発信しているから当たり前なのだけど)、私の無知さが暴かれるのだろうか。しかし、なるべく私は隠し事をしないようにしなければならない。いくつかのことは既に意図的に隠している。ここは縁起空間であって、だからこそこんな文章を書いている。ここに真実を連ねる、だとか、誠実でいようと思う、と宣言することに罪悪感を覚える。結局、小倉俊太朗はペンネームであって、これは文字列であって、ここは演技空間だから、100%本当のものなどないのに。100%本当ではないからといって、価値が失われるわけではない。{0, 1} で考えすぎている。もっと柔軟に考えたい。

意見を書く。まず教育について。個性を重視した教育を推進しようとしているが、まず何よりも話し合わなければいけないのは、子供に与える国家間と常識についてである。教育の最も大きな効能はこれであって、個性を伸ばす教育を行う前に、常識、国家間の話をしなければいけないはずなのだが、全く議題に登っているようには見えない。また、中学受験の話は公的にすべきものではない。それは富裕層がやればいい話であって、大衆メディアが取り上げるべきものではない。習い事に関しては、私は否定も肯定もしない。それは家庭の方針であって、全世帯を巻き込んで行う話ではないと思っているからだ。今、特に教育については、家庭の問題だろうとされているものが、公の場で真面目に話し合われている。それは親の不安が大いに関係しているのだろうが、まずは親の不安を取り除くことが大切であって、それが全て無視されているように思う。具体的に何をすべきなのかは全くわからなくて、そもそも、教育の最も大きな目的が常識と国家間の形成なのかどうか、国家とは何か、常識とは何か、教育とは何かもわかっていない。こんなことを書いて公開などしたくなかった。大学の必要性についても、結局遊んでいるだけの人間が多いのだから、こんなに数はいらないだろうし、さっさと社会に進出させた方がいいのではないか、とか思うが、どうなのだろうか。もっと書きたいことがあったはずなのに、何も思い浮かばない。何もない。すべきことはたくさんあるのに。なんでなんだろうか。生きるとは何かなんて、そんなことを考えようとも思わない。もう満たされてしまったのだろうか。こんなことを書きたくなかった。何が書きたかったのだろうか。