教育

幼少期から小学校にかけて、私は学習教材のチャレンジをしていた。小学校から高校に至るまで全て公立校だったが、住んでいたのが関東の、治安がよく、教育熱心で比較的お金のある家庭が多いところだったから、一般的な公立校とは違った。少なくとも、私立の対比として扱われるような公立校出身の人間ではない。教育環境としては、私はかなり恵まれて育った。親は別に教育熱心というわけではなかったが、していた習い事は多かったし、学習教材もお願いすれば買ってくれた。小学校の頃は自分が勉強できることは、薄々思っていたが、それが決定的になったのは、中学校に上がるタイミングで塾に行き始めたときだった。塾に行ったきっかけは明確にあるのだが、私が親にお願いしたからだった。塾で受けた最初のテストで、私はまずまずの順位をとった。中学の途中から、特進的なコースに行き始めることになって、そこで私のテストの点数は大きく伸びた。順位が上がったのは、塾のコースのカリキュラムがよかったのではなく、通った教室が、第二の学校のように楽しかったからだった。当時、中学校がどれくらい楽しかったかは覚えていないが、塾が第二の学校のように楽しかった、という感想を持っていたのは覚えている。この時期の私は頑張っていた。勉強が辛いのを耐えて頑張っていたというより、ただ楽しかったから勉強していただけだった。それを痛感したのは、高校に入ってからだった。進学校に入学した私は、最初のテストで思っているほど高い順位が取れなくて、萎えた。文字通り、萎えた。これは大学に入学した時も言えるのだけど、私はもっと高校のテストは簡単だと思っていた。ここでいう簡単は、テストの点数の絶対値が高いことではなく、相対的な順位の話である。私はもっと高い順位を取れると思っていたが、全くそうでなかった。その感覚を引きずったまま、大学に入学した。

日々、繰り返し考えていたことだったから書こうと思ったが、思うように文章が書けなかった。筋道を立てて説明するのが苦手だ。伝えようとしすぎて文章が固くなってしまった。もっと書きたいことはたくさんあったはずだが、今はこれしか書くことができない。大学入学後に何があったかについては、自分でもあまり整理がついていないので書くことができない。まだショックを引きずっているというより、原因が多すぎてまとめることができない。まとめなくていいかもしれない。そのためにこの個人HPを作ったのではなかったか。筋道立てて書こうとしなくては良いではないか。書きたくなかったら書かなければ良いのだ。私が書きたいのはこういった文章ではなかった。もっと裏にいる筆者の存在が消えた文章が書きたかった。いつも、望んでいる人間像とかけ離れた自分を発見しては、落ち込んでいる。芸術に至る動機も人工的だし、学問に対する欲求もない。現状にとことん満足していて(本当はしていないのだけど、最も大きな欲求を書くことはない)、何か目標に向かって努力をしているわけでもない。だから、日記を書かなければいけない。振り返って、何も積み上がっていない過去を見て、辟易している。鬱々とした気持ちになる。だから、せめて、今日のことぐらいは振り返って、何が積み上がったのかを確認したい。過去のことを後悔したくない。無駄だから。何にもならないから。今日の文章も良くなかった。いつになったら良いものが描けるのだろうか。まだまだ私の内部には書くべきことがたくさん溜まっている。日記ではなく、公にする文章に書いてもいいはずのものである。果たして私は何がしたいのか。何もしたくないのだろうか。